「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)①

人は一人で生きているのではない

「君たちはどう生きるか」
(吉野源三郎)岩波文庫

旧制中学二年のコペル君こと
本田潤一は
学業優秀で人望もある。
父親を早く亡くしたため、
無職でインテリの叔父さんが
コペル君の相談に乗っている。
叔父さんは自分の考えを
コペル君に伝えるため、
「ノートブック」に書き記す…。

何度読んでも心に響く、
新しい発見があります。
はじめて読んだのは
小学生のとき、図書館で。
以来、コペル君の歳になったときも、
コペル君の叔父さんの
歳になったときも、
そしてそれ以上の歳になってからも、
折に触れて何度も読みました。
コペル君をめぐる筋書きも秀逸、
風景や心象の描写も見事です。
物語部分だけでも
不朽の名作だと思うのですが、
大人になってからは、
「おじさんのノート」に
強く惹かれてしまいます。
自分はこれだけのことを
子どもたちに
語ることができるだろうか、
そう考えずにはいられません。

「自分たちの地球が
 宇宙の中心だという考えに
 かじりついていた間、
 人類には宇宙の本当のことが
 わからなかったと同様に、
 自分ばかりを中心にして、
 物事を判断してゆくと、
 世の中のことも、ついに
 知ることが出来ないでしまう。」

自分を中心に物事を考えてしまう。
子どもたちだけではありません。
私自身もふと気が付くと、
そうした視点で発想していることが
少なくないことに気付かされます。
人は一人ではなく、
社会の中で多くの人との
関わりの中で生きている。
当たり前のことなのですが、
本作品を読むにつけ、
はっとさせられます。

「僕たちは、
 出来るだけ学問を修めて、
 今までの人類の経験から
 教わらなければならないんだ。
 人類が今日まで進歩して来て、
 まだ解くことが出来ないでいる
 問題のために、
 骨を折らなくてはうそだ。」

人が学ぶことの意義を
明確に指し示しています。
学問は己の立身出世や地位保全のために
あるのではありません。
人として過去からの遺産を受け取り、
未来へ受け渡す重要な行為なのです。
近年の厳しい就職状況から、
子どもたちには、つい
進路保障としての学力の大切さばかり
話しがちになります。
その度に、本書が脳裏に浮かびあがり、
制動をかけていくことになります。

一つは横、つまり
空間軸での人と人との結びつき、
もう一つは縦、いわゆる
時間軸での人と人との繋がりの
大切さを述べているものです。
人は一人で生きているのではない。
改めてそう思います。

自分の関わる社会の範囲が
拡大する一方で、
その結びつきがますます
希薄化する現代においてこそ、
本書の存在価値は
増してくるものと思われます。
できれば中学生の段階で
読んで欲しいと思います。
そして本書を手放すことなく、
歳を重ねるたびごとに
読み返せるようであればと願います。

※ネットの書評を見ると、
 ごく一部ですが、
 こうしたことを「全体主義」と
 論じている方を見かけます。
 全く違うはずです。
 むしろ本作品は「全体主義」が
 蔓延ることを懸念した作者たちが、
 個を大切にして欲しいという
 願いを込めて編んだものです。
 再び「全体主義」が拡がりつつある今、
 蛇足を承知で付け加えます。

(2019.6.15)

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